鳥取 小麦で地域を元気に!「大山こむぎプロジェクト」の現場から

「なぜこの地域には小麦畑がないのだろう?」
ひとりのパン屋の手によって蒔かれた一粒の小麦はいま、
この地域の新たな絆となって、芽吹きはじめた。

全国の愛好家を魅了する名峰「大山(だいせん)」がそびえたつ鳥取県。
この活火山の噴火による黒ボク土壌に育まれた小麦が、
県の小麦市場を、そして、この地域の未来の食卓を動かし始めました。
「大山こむぎプロジェクト」は、パン屋のシェフによる
地域を愛する思いからはじまった、育ちざかりの小麦物語。
まだまだ力強く伸びていく息吹きを感じさせる、
「大山こむぎプロジェクト」の現場に迫りました。

大山こむぎプロジェクト

生産量ゼロからのスタート。
県を動かす程に成長を遂げ、今もなお、伸びざかりの小麦プロジェクト

「大山こむぎ」は鳥取県の名峰「大山」をぐるりと半周ほど取り囲む地域で ミネラル豊富な黒ボク土壌の畑で育った小麦のみを ブレンドしてつくられる地域ブランド小麦粉です。
ミナミノカオリ、ゆめちから、銀河のちから、チクゴイズミ、せときらら・・・ 大山地方で育てられる小麦の種類は多品種に渡ります。
ここまで特性や栽培条件の異なる品種の栽培が可能なのは、 標高差のある地形の特性を活かしてのこと。
そんな大山のふもとに生まれ育ったひとりのパン屋さん、出井シェフの 「地域に感謝の思いを表したい。生まれ育った土地の小麦を使いたい」 という強い思いから「大山こむぎプロジェクト」は始まりました。
今年2015年には65トンの収穫に恵まれた「大山こむぎ」ですが、 プロジェクトが発足した2010年の鳥取県の小麦生産量は、なんとゼロ。
「大山こむぎプロジェクト」の立ち上がりは、まずは農家探しからでした。
これまで県内にノウハウがない小麦の育成に 名乗りを上げてくれる農家はなかなか出てこず、 「大山こむぎ」最初の農家は、出井シェフに牛乳を納品している牧場農家。
仮に小麦の育成に失敗しても牛の飼料になる “循環型農業”の側面から引き受けてくれたのでした。
鳥取県に今までなかった小麦という農産物をもたらした 「大山こむぎプロジェクト」はまた、これまでになかった 新たな小麦の流通展開をも生みだしました。
その年の小麦の収量の調整を行い、 小麦農家と播種前契約を結び、全量を買い上げ、 県外の製粉所で製粉したのちにふたたび県内で流通させる、 ここまでを、プロジェクト事務局が一貫して行う。
これは、小麦のビジネスモデルとしては極めて特殊な展開です。 さらに、「大山こむぎ」は食育の現場にも進出しはじめました。
小学校へ通う児童のご父母方が集まり開かれる 「献立作戦会議」からの強い要望によって、県内の一部地域での 「大山こむぎ」を使用した学校給食パンの登場です。
地域を思う心によって蒔かれた小麦の根はいま、 県全体をむすぶ絆となって、鳥取の大地に広がりはじめています。
生産農家、パン屋さんやレストランなどの使い手、流通会社まで 「大山こむぎ」に携わるネットワークを強くする「創る会」の発足。
県の発信しているプロジェクト「食のみやこ鳥取県」とのコラボレーション。
まだ芽吹きはじめたばかりの「大山こむぎプロジェクト」は、 今後ますます元気な展開をしていきそうです。

「大山こむぎプロジェクト」発起人:
パン屋「麦ノ屋」シェフ出井亘さんのお話

感謝の気持ちを、地域に。
パン屋が、小麦を通して伝えたいこと。

2003年に1号店となる「ブーランジェリー麦ノ屋」を米子にオープン、 その後、直営店やテナントの店舗、2号店などを営んで13年になります。
「大山こむぎ」に取り組もうと思ったきっかけは、10周年を迎える節目。
10年間この地域でパン屋をやらせていただいたことに対する感謝の気持ちと地域愛を パン屋のシェフとしてどう表したらいいのか、悶々と考えていました。
それで、ここ米子市は日本のトライアスロン発祥の地なんですが、 「開業10周年を迎えるにあたり気合い入れなきゃいけん」と、 私もレースにトライしてみました。
この地域を自転車やランニングでぐるぐるしてみて思ったのが 「米の田んぼはたくさん見られるけど、小麦がぜんぜん見えん」ということ。
ちょっとこれはどうなっとんのかなあ、と思って調べてみたんですね。
県や農林局の方に聞いてみたところ、 鳥取県では30年程前に作られてはいたけど、今はゼロだと。
他県では地元産を食べているのに、鳥取県では食べられない。
これはまずいぞ、とパン屋として思いました。
そして、地域を周って気づいたことのもうひとつに、 遊休農地が多いということもありました。
減反政策の影響で目の生産が減り、農家は嘆いておられる。
こうした現状を知るにつれて、 パン屋が地域貢献としてできることはなんだろう、と考えた時に 「そうだ、小麦を通じて地元に元気を還元しよう」と、思ったわけです。
とはいっても、小麦の栽培なんて、知識ゼロです。
県にもノウハウがないなかで、本当に手探りの状態でスタートしました。
農家さん探しから始まった1年目は小麦の選別も手作業で行い、 製粉会社も県外に探しに行かねばならない状況でした。
そんななか、県の職員の方のアドバイスで 農商工連携や六次産業の助成金などを知ったり、 採れた小麦を学校給食に納品できることになったりと。
とにかくいろんなところを駆け回っていて気づいたら、 地域をつなぐ新しいネットワークを形成することになっていました。
こんなにも地域を動かす原動力が小麦にあると思ってスタートしたわけでもなく パン屋のいちシェフとして、単純に小麦への探究心ということはありました。
それが、スタッフのモチベーション向上につながるということも大きかったですね。
目の前で種蒔きを見て、自家製粉した原料を、自分の手でパンにする。
その一連の流れを体験するということで、自分の職業への理解が深まる。
そんなスタッフの姿を見られたことも収穫でした。
お客さん、スタッフ、地域、すべてが小麦でつながっていく。 「大山こむぎ」のおいしさは、“つながり”がつくるおいしさです。

「大山こむぎプロジェクト」事務局長:笠谷信明さんのお話

もっと伸びやかな「大山こむぎ」の明日を。
プロジェクト事務局の役割、そして、想い。

「大山こむぎプロジェクト」に関わるきっかけとなったのは、 2014年に開かれた、それまでの取り組みに関する成果発表会です。
実はプロジェクト発起人の出井とは地元の学校を通じて先輩後輩という関係で、 なんとなく「大山こむぎ」ということに出井が取り組んでいるということは 知っていたのですが、詳しくは知りませんでした。
成果発表会で話を聞いて、驚きました。 なんという広いストーリー展開性をもった大きな取り組みなんだろう、と。
単純にパン屋が小麦をつくりました、という活動にはとどまらないものだと思いました。
私自身も鳥取県に生まれ育ち、また、父が土地家屋調査士だったという背景もあって この地域に遊休農地が多いなということが気になっていました。
だれも耕さない財産が眠ったままなのは残念なことです。
そんな地域の農業に、元気を注入してくれるかもしれない。
「大山こむぎプロジェクト」に、とても可能性を感じたんです。
『絶対もっと大きな取り組みにしていかなければならない』という 使命感を強く感じまして、『手伝います!』と名乗りをあげました。
「大山こむぎ」を地域に根づかせるためには、 事務局の機能が必須だと思いました。
“パン屋のシェフが小麦をつくっている”という形態だと ほかのパン屋や飲食店が「大山こむぎ」に興味をもっても使いづらい。
事務局が運営することで、そのイメージを払しょくして使用者を拡げることが必要でした。
2014年の成果発表までに、農家と播種前契約を結び、製粉所へ委託し、 地域や学校給食用のパンとして流通させる流れは出井が築いていましたが、 「大山こむぎプロジェクト」事務局が立ち上がってからは 事務局がその流れを取り仕切るという運営方法に変わりました。
さらにいま、生産農家、パン屋さんやレストラン、流通会社など 「大山こむぎ」でつながるみなさんに呼びかけ、「創る会」を発足させました。
「大山こむぎ」をもっともっとおいしく感じてもらう使い方を考えよう、 地域が一丸となってストーリーを創りあげることで、 地域の日常をおいしくする、小麦に育てていこう。
小麦から地域を元気にする活動に、一緒になって取り組む会です。
「大山こむぎ」は、そこまで大規模で収量がある小麦ではありません。
しかし、だからこそ、地域が一体となって結びつくことができる活動でもあると思います。
地域を根っこから元気にする「大山こむぎプロジェクト」は、まだまだ始まったばかり。
地元の日常にとけこむ小麦をめざして、成長させていきたいです。

「大山こむぎ」大山地域農業のお話:北村裕寿さんのお話

めざせ、大規模ファーム!
遊休農地を逆手に考える、大山地域農業の未来。

ぼくが農業を始めたのは2011年、最近なんです。
それまでは宮大工をやっていました。
ぼく、農業まったく興味なかったんですよ。
祖父が農家で、小さいころ手伝いをさせられていた。
それで大変だというのをよく知っていたので、 将来農業は絶対しないぞ!と心に誓っていたんです(笑)
それが、祖父が亡くなって畑が荒廃していくのを 目の当たりにしてから認識が変わりました。
近所の遊休農地なんかも目につくようになる。
小さいころに広がっていた田園風景とはすっかり変わり、 草木がボーボーに生えた整備もされない土地の拡大。
なにかできないかなあ、ということを思っていたとき、 「大山こむぎプロジェクト」のことを知って、「あ、これだ」と思いました。
小麦だったらある程度の収量を見込まないといけないので 栽培に面積を必要としますしね。 そこで、「大山こむぎ」のつくり手を募集に手を挙げました。
とは言っても今まで農業なんてまったくやって来なかったから、 小麦にさまざな品種があることなど、いちから勉強をスタートしました。
鳥取県にはこれまでに小麦の育成ノウハウがありません。
あったとしても数十年前の旧いもの。
現在の最新の小麦の育成ノウハウを持つ北海道や岩手など、 さまざまな小麦農家さんにも会いに行きました。
今はインターネットで得られる情報量も多く、 数十年に渡り日々研究している成果も公開されています。
ブログなどで情報を発信している農家さんなども多くおられますし、 日ごろからアンテナを張ってそういった情報を収集しています。
小麦栽培は作業工程は単純なんですが、実に奥が深い。
種まき、刈取り、施肥のタイミングや麦踏みなど、 その土地が持っている地力や背景、環境で大きく変わって来ます。
育てている小麦の他の地域のノウハウを学んでも、 ここ大山の黒ボク土壌に100%合うとは限りません。
研究の連続で、毎年わかる初めてのことがある。
「大山こむぎ」をつくり始めて4年間、ほんとに毎年たのしいです。
ぼくはこの大山地域で北海道のような大規模農家をしていきたいんです。
遊休農地が拡がっているこの地域だからこそ、チャンスがある。
眠っている畑をどんどん耕して、広大な面積に小麦を植えていきたい。 そうすれば人手もいります。都心の大学へ赴いて、 若い農家の担い手をこの地域に受け入れる活動もやっていきたいと思っています。
この地域だからこそできる農業のやりかたが、もっともっとあるはずです。
これからますます意欲的に研究していきたいですね。

「大山こむぎ」パンのお話:「YOSHIPAN」栗田由美シェフのお話

食材の背景、つくり手の思い、すべて込めて。
パンを通してお届けしたいのは、この地域の物語。

「素材にこだわって、丁寧なものをお出ししていきたい」 そんな思いで、地元であるここ大山町にお店を構えました。
この地域は海も山も両方ある、食材の豊富な地域。
舌の肥えたお客さまが大勢いらっしゃるので、常に気を引き締めています。
1日に焼き上げるパンはぜんぶで30種類ぐらいですね。
パン屋に併設しているカフェスペースではランチ時に、 大山町や鳥取県で採れた食材を使ったお料理も提供しています。
コンビニやスーパーと比べると決して安い価格ではないのですが、 みなさまに受け入れていただき、おかげさまでオープンから4年が経ちました。
地元の食材をメインに使用していますが、パン屋において肝心の小麦で 地元産「大山こむぎ」を取りいれるようになったのは、実は最近なんです。
ちょうどオープン直後の2011年ごろに「大山こむぎ」を使ってみないか、 というお話を「麦ノ屋」の出井シェフからいただいてはいたのですが、 試し焼きしてみると自分が扱い慣れてきた小麦とはだいぶ性質が異なっていて、 発酵時間とか温度とか、生地の取り扱いが難しく感じました。
オープン仕立てで毎日忙しかったですし、 「大山こむぎ」を使うパンのレシピに集中することができなくて ついついおざなりにしてしまったんですね。
きちんと取り組んでみようと思ったきっかけは、 2014年の「大山こむぎプロジェクト」成果発表会に呼んでいただいたことです。
発起人の出井さんをはじめ、生産者の方や行政の方々、 みなさんの並々ならぬ熱意をとても感じました。
ここ大山町の方も小麦を作っておられるし。
携わっていない自分がなんだか恥ずかしく感じられてしまったんです。
「大山こむぎ」発祥の地元でパン屋を営んでいるのに、って。
それで少しずつ作り始めたんですが、地元の食材との相性が抜群にいいんです。
びっくりしました。地がつながっているのは、こういうことなのかと。
たとえば、「大山こむぎ」を使ったパンの中でも人気の「大山あんぱん」という商品があるのですが、 これは、YOSHIPANの4軒隣のおばあちゃんが畑でつくった小豆を炊いて 「大山こむぎ」の生地で包んだものなんですね。
試作段階のときに市販のあんこも使って焼いてみたんですけど、
食感とか風味とか、すべての相性が地元同士のものの方がおいしく感じました。
地元の食材で作られたジャムもそうなんです。「大山こむぎ」のパンととても合う。
「YOSHIPAN」では地元の方がつくった食材を使う場合、 その食材にどのような背景があるのか、まずお話をお聞きするんですね。 『お芋は寒い時期を越した方がぐっと甘くなるけど、 今年は寒い時期が遅かったから2週間ぐらい寝かせてみたよ』とか。
そういった背景を知っている方が料理のイメージを想像してとりかかれるので スーパーでひょいとお買いものした食材よりもお料理に物語が出るというか。
つくり手である農家さんの思いを引き継いで、最終的にお客さまに届けたいですね。
それが、食材にしても、「大山こむぎ」にしても一緒かな、って。
地元の方々の思いを背負って根を張りはじめた「大山こむぎ」を今後、 もっと食卓に根づくものにしていきたいです。
今は「大山こむぎ」を使った「ミニ山形食パン」をつくっているんですけど、 メインの食パンをすべて「大山こむぎ」で作れたらな、と思っています。
毎日食べてもらうものですから、地元の思いを込めたものをお届けしたい。
この地域のパン屋だからこそできること、 “この地域の物語が詰まった味わい”を追究していきたいです。

2015とっとりバーガーフェスタ

ハンバーガーじゃない、
ご当地バーガーの祭典!

「ガンバーガー!」を合言葉に、日本全国各地のご当地バーガーが大集合する 日本最大規模のご当地バーガーの祭典 「とっとりバーガーフェスタ」がいま、盛り上がっています。
このイベントはもともとは鳥取県がかかげる「食のみやこ・鳥取」の スローガンのもとに、2009年度よりスタートした企画。
「鳥取県を全国へ」を合言葉に、県産の食材を活かしてバーガーにアレンジすることで “地産素材の価値の見直し”と“地域への浸透”を図り、 「鳥取県」の名を全国にPRすることを狙いとして官民の連携のもと運営されてきました。
活動を進める中で、食を通じて地域PRを行う全国の団体と連携し ネットワークを形成するようになり、2011年の「とっとりバーガーフェスタvol.3」から 食材や活動、販売形態など、いかに地域とマッチしたご当地バーガーなのかを 基準に順位を競う「全国ご当地バーガーグランプリ」を実施。
「ご当地バーガー」を日本で育まれた新しい食のジャンルとして位置づけ、 日本ブランド、地域ブランドのPR活動の場として、 「とっとりバーガーフェスタ」は発展しつづけています。
◎とっとりバーガーフェスタ実行委員長
柄木孝志さん
「とっとりバーガーフェスタ」が産声をあげて7年。単なる一過性の反響ではなく、 地域に根差した取り組みと連携により、確実にその輪は広がりをみせています。
優勝バーガーご当地では販売個数が劇的に増えたことによる生産農家への還元、 また観光コンテンツとしての集客がなされ、その地域で一定の経済効果を実現しました。
これは、バーガーの審査が単なる「ご当地グルメ」という点に重きを置くものではなく、 クオリティや各団体の活動、組織づくりを評価してのものだからこその 好影響なのではないかと感じています。
鳥取県においても、2015年2位となった「奥日野きのこのコンフィバーガー」をはじめ、 全国TOP10に6つのバーガーがランクインしました。
その理由としては、一つにクオリティUPの取り組みを継続的に実施してきた成果、 そしてもう一つ、各団体の意識の変化が関係しているのではないかと思います。
大山こむぎ入りのバンズを使ったバーガーも多くランクインし、周囲の評価も上々。
今後も、そうしたタテのつながりのなかでの組織力強化をはかり、 鳥取県のバーガー文化の発展、定着に貢献してくれるとうれしいですね。
◎「コムギケーション倶楽部」事務局の野菜ソムリエや「日本コナモン協会」会長も審査員として参加
◎「大山こむぎ」を使ったバンズのバーガーも出店されています
◎2015年「全国ご当地バーガーグランプリ」上位バーガー
[1位:まるごと!?紀州梅バーガー]
和歌山県・湯浅町 パン工房カワ(株式会社カワ)
[2位:奥日野きのこのコンフィーバーガー]※「大山こむぎ使用」
鳥取県・日野町 BUBNOVA×しいたつ
[3位:あわじ島オニオングラタンバーガー]
兵庫県・南あわじ市 あわじ島バーガー 淡路島オニオンキッチン(南あわじ市商工会)
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