TOP > 小麦にまつわるよもやま話 | Vol.3

小説に書かれるパンの情景

短編小説の中のパン...『ささやかだけれど、役にたつこと』レイモンド・カーヴァー

映画や小説の中には様々なシーンで小麦や小麦食品が出てきます。たとえば小津安二郎監督の『麦秋』は、 主人公の心情や状況を「麦秋」(周りの季節は夏が始まる頃であるが 小麦は収穫の時期)に重ね合わせて描いている詩情豊かな映画です。 また、リドリー・スコット監督のSF映画『ブレードランナー』でリック・デッカード(ハリソン・フォード)が、 未来のフードコートでお箸をこすり合わせて食べているのは「うどん」。
さて、今回はアメリカの作家、レイモンド・カーヴァーの短編小説『ささやかだけれど、 役にたつこと(原題:”A small, good thing”)』をご紹介します。(ネタバレ注意:ストーリーが出てきます)

小説は土曜日の午後、母親が愛する息子の8つの誕生日ケーキを買いにきたショッピングセンターのパン屋から始まります。 彼女が注文したのは、宇宙船と発射台ときらめく星がデコレーションされ、 赤い砂糖でつくられた惑星がついたケーキ。ところが、そのかわいい息子のスコッティーは月曜日の誕生日の朝、 車にはねられて、病院で昏睡状態に陥ってしまいます。 (誕生日を過ぎてもケーキを取りにこない)と事情を知らないパン屋さんは時間も構わず何度も電話をかけてきますが、 ケーキを注文したことを知らない旦那さんはいたずら電話だと憤慨。 その後、奥さんが電話をとったのは息子が看病むなしく息をひきとった直後でした。 「この悪魔! どうしてこんな酷(ひど)いことするの?」と叫ぶ彼女。 パン屋さんは「あんた、スコッティーのことを忘れちゃったのかい?」と言って電話を切ってしまいます。

誕生日を3日過ぎた星のきれいな夜、怒りを燃え上がらせた彼女は夫と一緒にパン屋を訪ねますが、 パン屋さんは「三日前のケーキを持っていくかい?」と無愛想に対応します。 「なあ、奥さん、あたしはおまんまを食うために一日十六時間ここで働いているんだよ」。 「子供は死にました」と事情を彼女が話すと、パン屋さんは「本当にお気の毒です」と、 自分の焼いたロールパンを夫婦に勧めます。まだ砂糖が固まっていない温かいシナモンロール・・・。 「何かを食べるって、いいことなんです」。

この後のシーンがとても感慨深いのですが、書かないことにします。ひりひりとするほど心が痛むとき、 どうしようもない悲しみにうちひしがれている時、パンが私たちに恵んでくれるもの、 パンの匂いが運んでくれるもの・・・ぜひこの本を読んでみてください。

●『ささやかだけれど、役にたつこと』レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 中央公論社(単行本)
●『Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選』 レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 中央公論社(単行本/中公文庫)